初代御理解チェック専用
麻生隆司さん
御理解入力者=岡村和一郎
昭和45年7月21日 朝の御理解
御理解 第81節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。 十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
ここで安心してはならぬぞと、仰っておられるのは、えー、信心による、いわゆる、安心立命とは違うと思うですね。えー、信心の、これは宗教の目指しというか、眼目といったようなことは、どの宗教、宗派だって、同じ様なことが言えるんじゃないかと思いますね。いわゆる、安心の大みかげと申しますね。御道では仏教的に申しますと、これは、安心立命と。えー、信心の、いわゆる、究極のところの、それとは違う。ここで安心というのは。ね。それは、心を緩めるということ。心を緩めるという事を、ここでは、安心してはならんぞということは、心を緩めてはならんぞということだと思うんですが、その、同じごろは、また、字は同じですけれど、そういう風に意味は大変違います。向こうへおりたら安心じゃと。これは、私は、信心でいう安心とおんなじ字なんですけどね。えー、安心じゃと仰っておられるのは、ここんところは、宗教にも、究極のもの、いわゆる、安心立命。これが安心じゃと。いわゆる、大安心というのはね、安心の大みかげというのは、安心立命と。まあ、いわば、安心立命ということは、あの世、この世を通して安心じゃということも言えると思いますね。いわば、極楽行きは間違いないといわれる。いうならば、死ぬ間際にでも、御礼が申し上げれれるほどしの心だと思う。「ね」。
気を緩めると、すぐに後へもどるというのは、初めのほうに使っておられる安心である。氏子、九里半登っても安心してはならぬぞと、いう安心なのですね。この安心は、すぐに後にもどってしまう。十(とう)のものを、いわば、九つ半も成就して、もうそこに、もう見えておるというわけですからねえ。峠はそこに見えておるからと言うて、安心してはならぬぞと。「ね」。いわゆる、私共は、そういう、素晴らしい信心の、境地を目指してのおかげ。
えー、いよいよ八月の、んー、二十日は、夏の御大祭。いわゆる、諸事繁盛の、大祈願祭と銘打っての御大祭である。「ね」。諸事繁盛の大みかげを頂くことの為の、いわゆる祈願。その事だけを一生懸命に願う。しかも、合楽の信奉者が全部、勢を揃えてこそ、夏の暑い盛りに、えー、それこそ、汗みずくになって、「ね」。もう、願うということに焦点を置いて行われるのが、夏のいわゆる、大祈願祭の眼目だと。とりわけ合楽では、そこんところを、もう、色々有ります。他所の教会では、いろんな名目がいくつもついております。けれども、合楽の場合は、諸事大繁盛だけの願いの大祭りにならなければならんと。皆さんが今、七月は修行月だとして、一生懸命修行月をなさっておられるのも、言うなら、八月に頂く大祭を眼目にして、目指しにして、えー、七月の修行をなさっておられると言っても良いくらいだと思います。「ね」。そして、私共が、祈願をさしてもらう、その祈願が、ね。いわゆる、念願成就というか、御祈念成就のおかげを頂かせてもらう。そのために、修行をさせて頂いておると言うてもいいです。ですからこれはもう、何が何でも、もう、何が何でも聞いて貰わねば止まんという、私は、「ね」。おかげ。願わんでも頼まんでも神様はおかげを下さるというおかげではなくて、「ね」。この祈願祭だけはです。それこそ、年に一度の、合楽でいうならば、「ね」。もう、合楽の人は、普通はもう、願わんでも、頼まんでもおかげの頂けれる、おかげの状態、おかげの受けものを作れと、ま、その事に一生懸命ですけれども、このお祭りだけは違う。「ね」。どうでもこうでも聞いてもらわんならん。と、もう、押しにも押して、えー、お頼みさしてもらうというお祭りなんですね。祈願祭は。その祈願祭の性格をよく皆さんが知っておかなきゃならん。
小倉の初代が、神様へ、一つの祈願文を、おー、作られましてね。それを、御本部の金光様に、あの、大祭なんかに参りますと、こう、色々昔の先生方の、遺徳ていうのがありますね。その中に、桂先生がそれこそ、自分の願いのたけを書かれましてね、そして、御本部に奉納しておられるものが陳列される。皆さんご覧になった方があるかも知れません。その中に、九州の道の上、ね、九州の道の上という、この、九州中にですね、一大ごひれいを願われた。「ね」。商売、産業、おー、おー、または五穀豊穣、もう、あらゆる面に、しかも九州中のことをです、願われた。「ね」。いついつまでもとは申しません。向こう三ヶ年間、どうぞ、九州の地に特別の大ごひれいを頂かせて下さいという、それこそ熱願をかけられた。「ね」。そこで、ほんなら、この、その熱願がです。例えば、八月二十日に行われる、その熱願がです。ただ、熱願というだけではいけない。目指しがなければ、目標がなければいけん。「ね」。その目指しが、どういうことであったかと申しますとね。当時の御本部の御広前というのは、非常に貧弱であった。初めて参った人たちがですね、もう、賛びっくりというような言葉を使っておりますね。もう、御本部にお参りさして頂いて、あまりに御礼社が、その貧弱であるのにびっくりする。それでもその、打てば響くほどのおかげに、また、二度びっくりする。「ね」。散々三つ目、何とかということでびっくりするようなことがあるといわれるほどしに、お粗末だったわけですね。これほどしの人間、氏子が助からしてもらう。このような素晴らしい、ま、世界の銘教だと自負しておる、金光教の御本部が、このようなことでは、神様に対しても、金光大神に対しても相すまんというのでです。その、御本部の御造営を思い立たれました、桂先生が。「ね」。
そこで、その、祈願文の中にもありますように、「ね」。「飛ぶ鳥も、翼無しには飛べません」と言うてられます。「ね」。「飛ぶ鳥も、翼無しには飛べません。」いかに私の念願がです、素晴らしい念願でありましても、例えば、御造営成就を願っておるということは、素晴らしい願いでありましても、「ね」。飛ぶ羽がなかったら飛べません。ここに、ほんなら、お金ならお金がなからなかったら、それは、どうにも出来ません。その為にはどうぞ、九州中の上にです、「ね」。とりわけ、大繁盛の大みかげを頂かせて下さいと言うて、諸事繁盛の大祈願祭をなされました、小倉で。「ね」。そのお祭りが、今に残っておるのが八月の祈願祭なんです。だから、他所にはありませんのですよ、夏の御大祭というのは。夏の祈願祭というのはありません。これはもう、九州だけの、しかも桂先生の流れを頂いておる教会の上にだけある御大祭なんです。それは、諸事繁盛の大祈願祭。「ね」。けれどもその、諸事繁盛が、ただ、繁盛させて下さい、繁盛させて下さいというだけのことではない。ただ、儲け出させて下さい、儲け出させて下さいというのじゃない。それには、ちゃんと一つの筋が通っている。「ね」。桂先生の場合は、それが、ね、御本部の御広前御造営という、大念願が掛けられておる。そのためにです、私、私利私欲のためではない。そのようなことのために、九州中の道の上に、大祈願、一大ヒレイを願われたわけであります。それが今に残って、八月の御大祭が、段々、そういう名残というものだけになってきとるような感じがする。「ね」。、ですから、私共は、やはりその時の桂先生の大精神というものをです、受けて、それを継がせて頂いて、「ね」。その時の御精神の内容そのままにです、合楽の大祈願祭にならなければならん。ためにはね、祈願は祈願でもです、筋道がたっておらなければだめだということ。「ね」。
私は昨日、菊栄会でございましたから、みんな、共励終わってから、私の控えに皆でやってまいりましたから、皆さんに申しました。あなた達が、段々おかげを頂いておるけれどもです、「ね」。金が儲かりさえすりゃ、どげなこっでんするというような根性だけは、一丁捨ててくれんのち私が申しました。金さえ儲かりゃ、どんな商売でん良か。私はその、例えば、仕事なら仕事というようなことにですよ、「ね」。甲乙つける訳じゃないですけれども、やはりね、さして頂いておる、その仕事そのものも、例えばほんなら、商売なら、商売そのものも「ね」。それがね、どれだけ社会のお役に立たしてもらう、貢献出けておるかというものでなからにゃいけん。中の一人が、んー、それこそ、ま、金さえ儲かりゃよかといったような商売を、思い立った話を私が聞きましたから、その人に私が申しました。それこそあんたにも似合わん、そげなこつば。私は噂じゃけん知らんけれども、あんたから聞いたわけじゃないから、お届け聞いたわけじゃないけれども、そげな商売どん始めちゃでけんばいち言うた。やはりまだ、おかげで仕事の上にも大繁盛のおかげを頂いておりますけれども、それからというて、またそういう事に手を出すなということでも無し、出すか、どげん出しても良し、拡張しても良いけれどもです。商売の内容がいかん。「ね」。と言うて、ま、申しました。ね。だから、もう、金さえ儲かりゃ良かちいうごたる根性で、これは、その商売は、どういうように良い商売でありましてもです、それだけの根性では駄目だという事です。「ね」。今日の私は、この81節、この中にです。「ね」。九里半登っても安心してはならんぞと、仰ることの、その内容というものがです、「ね」。例えば、儲け出しさえすりゃ良いといったような、金さえ残れば良いというような願いであったらです。必ず、九里半のところで腰掛けてしまう、人間ちいうものは。そして、昨夜の御理解が私はまた、改めて、みんなに今晩の、夕べの言葉ですがね。今晩の御理解を、こういう気持ちで聞いて欲しい。決してこれは、菊栄会の、あんた方だけじゃない、私自身も、やはりその事を頂かなければならんと言うて、ま、お話をさして頂いた。「ね」。例えば、世間にはね、親が苦労をすると子が楽をする。孫が乞食(こつじき)をするという諺がある。「ね」。親がそれこそ、難儀苦労して、貯めた。その貯めたお金で、財産で、子供が楽をする。「ね」。そして、孫が乞食をしなければならないというようなケースというものは非常に、先ず、まー、そればっかりだけなんだ、本当は。それが、どういうことかというと、それこそ、一生懸命苦労もした。一生懸命の、言うなら修行もした。「ね」。けれども、ただ、儲け出す事だけのための、いわば儲けだしであった。金にさえなるなら、どげなこっでんするというような儲け出し方。だから一つ、もう、本当に、もうね、もうその、第一歩のところを一つ大事にしなければいけないと思うんです。だからこれは、「ね」。親が、子が、孫がという、それは諺ですけれども、ほんなら、ま、例えていうならば、ほんなら、今日の、今晩の菊栄会の会長の久富正樹さんがことに、一つ例を取って見ようかなということで私が話した。「ね」。あの人の若いときには、もう、それこそ、久富繁雄さんが言われるように、金光さんの信心ちゃ、どうしてあげな修行せんならんじゃろうかと言うぐらい修行しております。まあだ、久富繁雄さんは信心がない時分です。「ね」。勿論、自分の身体が弱かったですから、ね。死ぬか生きるかというところを通っておりましたから、もう、それこそ人がびっくりするような修行をさせて頂いておる。おかげで、健康のおかげを頂くころには、商売が、仕事の上にも大変なごひれいを頂いて、現在の久富建設があるわけなんです。言うならば、親が苦労したこと、「ね」。それがよ、「ね」。ほんなら、今、現在ではどういうことかというと、現在では、子が楽をしよるというところを正樹さん通っておるところと私は申します。いうなら、「ね」。一生懸命の修行をして、現在のおかげを頂いたということ。親が一生懸命の苦労をした、財産が残って、子供が楽をしよるというところ。だから、そういう小さい、私一代なら一代ということに於いても、いえるわけでしょうが。ね。正樹さんが、自分の体の死ぬか生きるかというようなところの、もう、医者じゃ難かしかち。「ね」。もう、ほんとにあの、正樹さんが死ぬ家が、別に出来とったんですからね、一棟。親もだから、いわば諦めとったつですから。というような、難儀の中からおかげを頂いて助けていただいとる。その時にしっかり修行が出けた、その時代に。人がびっくりするような修行が出けた。その修行が、ただ、身体が良くなる事の為だけではなくてです、現在の繁盛の元を作るほどしのおかげの元を作った、その時に。だから、「ね」。親が苦労した、あのときに、若いときに一生懸命に修行して、今日の久富建設の繁盛があるということ。ところがね、この繁盛しておる時にです、「ね」。子が、いや、孫が乞食をしなければならないような要因です。いわゆる基がね、出ておることに気が付きよるかと私が申します。「ね」。そらもう、正樹さんといやあ、誰から聞いても、人物の上から言うても、「ね」。堅実なこと、忠実なこと。もう本当に、やっぱし、合楽では一番でしょうね。そういう意味での人物という意味合いにおいては。「ね」。もうそれこそ、信心のない人達でも、もうあの人のことを悪う言う人は有りませんもの。立派の人だと。「ね」。この頃、ある人が、あそこに雇うて貰いたいと言うて行ったとき、その人が言うておることですよ。この人の為なら命がけで働けると言うたちいうんですから。如何にその人物が素晴らしかということが分かるでしょうが。確かに、そのように素晴らしいです。ところが、信心は別なんです。なるほど、若い時には修行が出来とる、だから、現在このような繁盛のおかげを頂いておろうけれども、繁盛の、現在、「ね」。現在、あんたの信心のいわば、子が楽をしておるというところに丁度当たっておる。この楽をしておる時にです、子が、いうなら、あんたが何時まあでも生きとりゃ良かたい。そりゃ、また、例え失敗したっちゃ、あんたの信心と人柄でおかげを頂こうけど、そんなわけにはいかん。いわゆる、孫が乞食をしなければならないような基が、そこに出けて行きよる。その証拠に、第一、「ね」。一番、もう先生、私、四十七になるというが、ほんならもう、人間の一番、「ね」。良かとこにあってです、信心は自分の命だと思うてはおりましょうけれども、その、あんたの命のように思うておる信心に、第一家内が付いてこんじゃないか。小僧っこが付いてこんじゃないか。こりが、十年後、二十年後、あんたが七十になり、八十になった時のことを、いっちょ、思うてみなさいち、私が言うた。と言うてお話をしたんです。「ね」。
丁度いわば、九里半、もう、ほんとに十里の道をですね、九里半登って、もうすぐそこに大体見えよるようなところですけれども、そこに安心しておる。安心してはならんぞと仰るところに、安心しておる。だから、信心の修行がでけん。「ね」。修行が出けんから、それでもやっぱり、前の修行の、ね。それが残っておりますから、余徳が残っておりますから、商売のほうは繁盛しよるけれどもです。さあ、ここに、孫が乞食をしなければならないような基が、そこにもここにも感じられようが。「ね」。だから、この芽を今に摘んでおかなければ出けん。だから、さあ、もう、ち、言うたところで出けんから、これはね、私は、正樹さん、正樹さんち言いよるばってん、菊栄会の全部の人がそれを考えなければいけないところだと私は言う。いいや、菊栄会だけのことじゃない、言うなら、合楽の信奉者の全部がそれを頂かなければならん。いいや、そうじゃない、ほーんなこつ言うたら、合楽の教会自体が現在そこん所を通っている。なるほど、こういうおかげを頂けれる基を、例えば私が、過去においての修行が、今日のおかげを頂いておる事になっておるとするならばです。「ね」。丁度、子が楽をしておるというところに、現在当たっておるんだと、合楽教会自体も。「ね」。正樹さんが、菊栄会の会長だから、会長のことを例をとって分かりやすくいいよるんだと、ね。だから、そこは菊栄会だけのことじゃない、合楽全体のこととしても、それが言えれるんだと。
今の、合楽でのこの、ごひれいと言うのは、そのごひれいを頂けれる、その修行の基というのが、過去において出けておる。それが現在花が咲いておるようなものなんだと。「ね」。いわゆる、孫が乞食をしなければならないような基がです、こういう状態の時に出来るんだと。おかげ、おかげと、おかげに酔うておる時に。「ね」。だから、合楽自体としても考えんならん。「ね」。菊栄会自体としても考えんならん。会長の正樹さん自体としても考えんならん。そこで、今日はいわば、話し合いなんです。あんた達に言うておるとじゃない。私もそこに気付かせてもろうて、「ね」。今度、新たな、もっとより多くなおかげを頂くことの為にです、ここに修行が求められておるのだということなんです。
えてして、私共が、「ね」。やれやれ、合楽は素晴らしいとでも言われると、ほんとに素晴らしかと思うて、ちゃんとそれに、腰掛けておる事実をね、私自身も感じるのです。しかも、自分では、どうにも出来ないのだと。だからね、こういう風に、例えば、昨日、私がその事を、あるお知らせを頂いてから、その、御理解を頂いたんですけれどもです。ですから、合楽自体に、いわば求められておるのだと。そこでですね、何かそこに、修行にも手掛かりが、足がかりがなからなきゃいけんから、その気持ちになって、これではいけんということのためにです、手掛かり、足がかりを探し、そして、手掛かりが出来たら、足がかりがでけたら、また、新たな、より大きなおかげを頂くことの為の修行がです、続けられていって、それが、ほんとの、御徳になるところまでおかげを頂かせてもらう、最後の安心です。信心の究極であるところの安心の大みかげを頂かせてもらうほどしの、おかげを頂かせて「ね」。貰とかにゃいけんというわけなんです。「ね」。
氏子、十里の坂を登る。九里半登ったからと言うて安心するなと、過去の信心の修行によって、現在、商売が大繁盛しているからと言うて、「ね」。お日参りも出来んごたるということでは、どうするかということなんです。「ね」。その、ほんなら、例えば、それでも商売繁盛しよりますと。なるほど、商売繁盛しよるばってん、それは、過去において「ね」。親が苦労をして現在子が楽をしておるところに当たっておるのであるから、ね、孫のためにも、曾孫のためにも、子々孫々のためにです。「ね」。本当なとこに、ここに、九里半のものは、十里のところまで、一つ登り詰めておかなければいけん。「ね」。そこに気が付かないとです、すぐ、いわば、峠を超えて向こうに下りたら安心と仰るように、「ね」。九里半のところであったって、山道であるとするなら、そこからコロコロと下へ降りてしまう、転がってしまう。その証拠をです、私は、合楽教会の中にも、あれこれと沢山感じます。正樹さんの事で言うと、第一、ほうら、あんたの半身である家内が付いてこんじゃないかと。むしろ、あんたの信心を軽蔑してるような風はないかと。「ね」。もう、子供達が、一人前の青年会とか、学生会でおかげいただかんならん。子供達が息子どんが居りながら、出てこんじゃないか。「ね」。もう、すでに孫が乞食をしなければならない基がそげな風にして出来ていきよるぞというわけなんです。
今日の81節はね、今日、私が言いましたような意味合いにおいて、えー、私共が、ほんとの、おかげの成就のことのためにです、「ね」。現在、ま、いわば、熱烈な修行が続けられております。それが、八月の二十日の大祭に実を結ぶほどしの、一つ修行でありたいと思います。「ね」。年に一回の、それこそ、御礼とかお詫びとかのお祭りはありましても、「ね」。祈願の祭りというのは、夏の御大祭だけ。それは、先ほどから申しました、これは九州だけに伝わっておる、いわば、お祭りであります。お互いが願いを持たないものは一人もありません。ですから、様々な願いを立てている。けれどもその願いがです、「ね」。例えば、今、身体が弱いならば、身体が弱いならば、どうぞ健康の大みかげを願わなければならんけれども、その頂いた健康で返って、子が、孫が乞食をしなければならないような事の為の健康であってはならない。財産もいる、お金もいる。けれどもその、頂いたおかげのためにです。返って、おかげを落とすような基になるためのおかげではなくてです。「ね」。しっかりそこに、その眼目というものがです、桂先生の大祈願文の中にもありますようにです。なるほど、そういう素晴らしいことを思い立ちましてもです、鳥に翼がなかったら、飛べませんようにです、私共が、どういう素晴らしいことを念願いたしましてもです。「ね」。ほんなら、第一、「ね」。毛駒でも追わなかったら、物事は成就いたしません。「ね」。なんと言うたってです、自分が病気をしておってから、青息吐息しよったもんじゃ、物事は出来はしません。「ね」。やはり、健康を願わなければならない、やはり、財のおかげを、お繰り合わせを願わねければならないがです。その頂いた健康、また頂いた、その財の使い道というか、「ね」。それがです、それこそ、完璧なまでに、そのところの願いというものがですね、こういうことに成就させていただくことのための繁盛でなからなければならないということをですね、内容としてのいわゆる、祈願祭でなからなければならない。「ね」。その事を、ま、例話に致しましてね、今日の、81節を頂きました。どうでも一つ、私共の願いが成就ということにもありますけれども、その願いが、「ね」。私共が願っておることは、そのまま神様が願っておられることだと思えるほどしの願い。いうならば、神願、「ね」。神様の願い。というところまで高められた、心願成就の願いを立てらせて頂いて、おかげを頂きたいと思いますね。どうぞ一つ、うー、一番分かり易いお話は、菊栄会の会長の例をとってお話しました例が、一番分かるでしょう。親が「ね」。苦労をする、「ね」。子が楽をする、楽をしている間は、もう、ほんとに結構毛だらけである。極楽のごたる。けれどもね、孫が乞食をする基が、その極楽のときに出来ておるようではいけんから、ここで一つ、本気でお陰を蒙らせて貰わなければならないという事を申しましたね。どうぞ。